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香川県偕行会

香川県の旧陸軍将校と元幹部自衛官の会

楠公を詠ず

 9月25日 香川県護国神社参集殿において#4昼食懇談会を実施し、大塚良和氏(陸自71期)から「楠公を詠ず 日柳燕石」の詩吟披露、解説、及び日柳燕石に関する有意義な話がありました。日柳燕石は、香川県仲多度郡琴平町榎井出身の侠客、勤王の志士、漢詩人であります。
楠公を詠ず」(日柳燕石 作)
          日本に聖人有り
    其の名を楠公と謂う          
          誤って干戈(かんか)の世に生まれ
          剣を提(ひっさげ)て 英雄と作(な)る
         
(通釈) 日本に聖人がいて、その人の名は楠公楠木正成)と呼ぶ。彼は生まれたのが戦乱の世であったがために、武器を持ち兵を率いて戦うこととなり、その武名をあげて英雄となったのである。
(日柳燕石)父は加島屋惣兵衛という。幼少時代から気が鋭く、伯父の石崎近潔に学び、その後13歳で琴平(松尾村)の医師・三井雪航に学んだ。三井雪航や岩村南里に経史・詩文、奈良松荘に国学・歌学を学び、河野鉄兜や森田節斎らと交遊した。詩文に天賦の才を持ち書画をよくした。当時の榎井村は幕府直轄地の天領で、豪商・豪農が軒を並べており、その財力や文化程度は高く、また隣の松尾村の街には、江戸、上方をはじめ全国各地から金毘羅大権現 松尾寺に参詣客が訪れてくるため、当時最先端の情報が集まっていた。そのような環境の下、加島家という豪農で育った燕石は、幼いときから儒学の勉強に励み、14歳頃までには「四書五経」を読破した。反面、侠気をもって知られ、21歳で父母に死別したのちに家督を相続して33歳頃まで遊俠したことで、千人を超える郷党浮浪の徒の首領となり、博徒の親分としても知られていた。また勤王の志が非常に厚く、天下の志士と交わり国事のために私財を投げ出して尽力した。文久末年頃より長土諸藩の志士で幕吏の追跡を受けて彼の家に潜匿するものが多く、よくこれらの志士を庇護していたが、慶応元年に(1865年)、高杉晋作が幕吏に追われて榎井村に燕石を頼って亡命したのをかくまい潜匿・逃亡させたことから嫌疑を受けて、高杉の身代りに4年のあいだ高松の獄に幽せられた。慶応4年(1868年)正月20日に出獄し、その後赦免の朝命に接して京都に上って書を奉った。朝廷は召して御盃を賜い燕石を桂小五郎木戸孝允)と共に西国地方に周旋させた。その後、仁和寺宮嘉彰親王会津征討越後口総督として出征する際に、史官に任じられて軍務方記録を掌り、北陸に従軍したが四年間の投獄がもとで従軍中不幸にも越後柏崎で病没した。52歳であった。墓は新潟県柏崎市の柏崎招魂所に立てられたが、爪髪は香川県仲多度郡琴平町榎井の先祖の墓所に日柳燕石士煥の墓として立てられている(ウィキペディアから引用)

いつものことながら、大塚良和氏の吟詠は格調高く大変素晴らしいものでした。 

 次いで、参加した全員で自由に意見発表、情報交換等を実施し、有意義に終了致しました。参加した会員の皆様、ご多忙中にもかかわらず参加して頂き本当にありがとうございました。今後益々のご健勝をご祈念致しますとともに、またの再会を楽しみにしております。次回は、10月23日(日)、講師は天雲定義氏(陸自74期)です。多くの皆様の参加をお待ちしております。

 

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